昭和初期

1926年12月25日

(昭和元年/大正15年)

から

1954年8月15日

(昭和20年)

平均寿命は男44.8才、女46.5才(S10年)

東京の人口600万人(S11年)

給料35円(S5年)


 

昭和は、本来は、「光文」という年号になるはずでした(光文事件)。 昭和初期は、第1次世界大戦の軍需景気後の反動の戦後恐慌と関東大震災に乱発した震災手形の焦げ付きから、金融が不安定になる幕開けとなりましたが、日本は世界の列強国の仲間入りを果たし、多方面で成長をとげた自由な良き時代だったともいえます。 ラジオや映画、電気製品やバイク、洋服が街に広がりました。しかし、徐々に政治は軍部が台頭し軍国主義に突入。生活規制、物資統制に変わりました。 そして、戦争の中盤(1942年6月)から敗戦までの悲痛な時代(3年半)を過ごします。町は焼かれ、家族は離ればなれ、生きるか死ぬか。女、子供は田舎に疎開。男は神の子として出兵。尊いたくさんの命を失いました。

昭和中期

1945年8月16日

(昭和20年)

から

1964年10月24日

(昭和39年)

平均寿命は男63.60才、女67.75才(S30年)

東京の人口800万人(S33年)

給料8,000円(S25年)


 

GHQによる敗戦処理が始まり、戦争責任の裁判、農地改革や財閥解体が行われました。これにより国内市場拡大策を実行、またアメリカの下請け工場として、産業は発展しました。民主化に向かって進みました。学生運動がおこりました。石炭から石油の時代に移行します。本格的な輸出入の時代となり、円とドルのレートが問題視されます。そして、悲願の東京オリンピックが開催されました。地方の中学卒業生は金の卵と呼ばれ、東京への集団就職現象が起こります。まだまだ貧しかったのですが、活力ある古き良き日本の姿があります。

昭和後期

1964年10月25日

(昭和39年)

から

1989年1月7日

(昭和64年)

東京の人口1,000万人突破(S42年)

平均寿命は男70.17才、女75.58才(S46年)

給料75,000円(S45年)


 

大阪万博(S45年)が開催され経済成長の最高期を迎えましが、中東戦争がもたらしたオイルショックによって経済は大打撃を受け高度成長が終わりました。社会は、重厚長大から軽薄短小へ、そして低成長時代へシフトしました。日本は世界第二位の経済大国になり、世界に対する責任、グローバリズムを余儀なくされます。 高校や短大大学への進学率は高まり、高学歴化が進みました。受験戦争が生まれました。
また、医療の高度化により、平均寿命は世界一になり、少子高齢化社会に進みます。医療と福祉の時代に入りました。団地ができ、マンションが立ち並び、高速道路と飛行場が整備されました。商店街から大型のショッピングセンターへ、そして、経済のバブルがやってきます。